■広報的な役割を目的として始まった『隠居系男子』


━━すいません、つい脱線してしまいましたが、話を戻します。実際に行ってみた中国の印象はいかがでしたか?
鳥井:ちょうど、その頃って、反日デモが一番すごかった時期だったんですよね。日本の国旗が燃やされたり、不買運動が行われたりして。
うちの会社は、日本から入ってくるメーカーさんの中国国内におけるマーケティングを代行、コンサルティングするという業務も行っていたので、状況を把握しておくために、一度、社長と2人で一番デモが盛んだった在北京日本大使館の前に行ったことがあったんです。そこはもう「あぁ、今ここで日本語をしゃべったら、どうなっちゃうかわかんないなぁ」ってくらい殺気立った雰囲気で、かなり恐かったですね。
一方で、一緒に働いている会社の仲間や、マンションの売店のおじさんとかは「国家間で何があっても僕らは友達だから!」みたいなことを言ってくれて。その両極端を体感できたというのは、自分の中では大きな経験だったかなと思います。

━━それはなかなか味わえる体験ではありませんね。ある意味、貴重な時期に行ってたんですね。生活や仕事の面での中国はいかがでしたか?
鳥井:僕、まったく中国語を話せないまま北京に行ったんです。なので、最初は午前中に語学学校へ行き、午後から半日だけ働かせてもらう感じでした。そこから徐々に仕事のウエイトが増え、最後は正社員としていろんな業務に携わらせてもらいました。
生活面では、ああいう雑多な雰囲気とかも好きだったので楽しかったです。手垢つきまくりの感想ですけど、やはり海外に住んで働いてみて本当によかったなと思います。

━━北京で暮らしていたのは約2年間ということでしたが、帰国を決めたきっかけは何だったのでしょう?
鳥井:いずれは独立しようと思っていたので、会社には初めから「期間限定でお願いします」と話してあったんです。なので、もともと2年間というつもりでした。
その後は、英語を勉強するために3ヶ月くらいフィリピンのセブ島へ行って、帰国前に東南アジア7カ国を旅してきました。アジアの主要都市の現状を見てみようと思って。

━━それは旅行というよりも、視察といった目的ですか?
鳥井:そういう意味合いが強かったですね。海外で起業した人たちの情報とかを聞いていると、東南アジアの新興国が伸びてきてるという声が多かったので、一度自分の目で見てこようというつもりでした。
それで、帰国後すぐに、東南アジアを視野に入れた事業の準備を始めたんです。



━━具体的にはどういった事業を始められたのですか?
鳥井:スマホのアプリ制作ですね。当時よくあった性格診断とか、あとはちょうど『あまちゃん』が流行っていた時期だったので、全国のローカルアイドルマップみたいなものを作ったりとかしてました。そのノウハウがあれば、東南アジアに持っていって向こうのご当地アイドルマップとか作って、いくらでも横展開できるかなと思って。
それは会社化せずに、個人事業主3人という形で進めたんですけど、その広報的な役割としてブログを始めたんです。

━━そうなんですか。ブログはもっと昔からやっているのかと思ってました。ちなみに『隠居系男子』という印象的なネーミングはどこから着想を得たのでしょう?
鳥井:ほんとにひょんなことなんですけど、最初はアプリ事業をやっていたメンバーと2人で書いていたんですよ。その彼と初めて会って「学生時代サークルとか入っていたの?」みたいな話をしてた時に、「いや、とくに何にも。隠居系です」って話をしてて、「隠居系でしかも男子って面白いね!」ってことでブログのタイトルになりました。当時から、ブログはタイトルが重要だと言われていて、印象的で一回見たら忘れないし良いかなと。

━━なるほど。あのブログのスタートが、もともとは事業PRを目的にしてたというのは意外でした。独立することは北京に行く前から決めていたということですが、どんな会社を作ろうとか、どんな業務をやっていこうといった具体的なヴィジョンはあったんですか?
鳥井:いや、ただ漠然と「起業したいなぁ」と思ってたくらいですね。「アプリを作ろう!」とかも考えてなかったです。

━━それは、単純に〝勤め人〟になりたくないという気持ちだったのでしょうか?
鳥井:そうですね。両親も事業をしてたんですよ。父親は水産加工の会社を、母親はコンビニを経営していました。両親共に勤め人ではなく経営者だったので、その影響はあったと思います。家でも当たり前に経営の話を聞いていたので、親というのは家で仕事の話をするものだと思ってました(笑)。

━━それは、なかなか珍しいご家庭かと思います(笑)。ご両親が食事の席で、お互いの経営論をぶつけ合うみたいな感じだったんですか?
鳥井:そこまで激しいものではないですけどね(笑)。家の中では常にそういう会話が繰り広げられていました。そんな家庭環境もあってか、将来自分がサラリーマンとしての道を進むことはあまりイメージできない感じでした。





<  PREV |  2   | NEXT >