■いずれは東京に戻るつもりでのUターン


━━東京でバリバリ働いていた近藤さんが、北海道に帰ろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
近藤:本当は帰ってくるつもりはなくて、一生東京で暮らしていくと思ってたんです。だけど、母が精神的に不安定になってしまって。
当時、私は身内の不幸などがなければ乙部に帰ることのないような生活だったので、親の状態をあまり把握できてなかったんですよ。たまに電話で話すくらいで。そしたら、ある時、母が突然、東京にやってきたんです。ひとりでJRにも乗れない人が、いきなり東京に。よくよく聞いたら、家出してきてたって話で。それを聞いて、私もすごいびっくりしちゃって。その時に初めて母の状態とか、実家の様子を知ったんですよね。
母は「あんたが東京でどういう生活をしてるか見に来た」って言ってたんですけど、父からは「母が家事もままならないような状態なので、帰ってきてほしい」と言われて。それで、母と一緒に久しぶりに地元に戻ってきたんです。その時に久しぶりに家族と話をして。「お前は今後どうするつもりなんだ?」「こんな仕事でやっていけるのか?」みたいな感じで。
私としては、今の仕事は東京じゃないとできないと思ってたし、東京が好きだったので、地元に帰ってくることなんて考えてなかったんですけど、心の奥底では自分の将来に対して不安もあったんですよね。

━━どんな不安を抱いていたんですか?
近藤:当時、料理の世界では、ブログで料理レシピを公開してる主婦とかがすごい人気になってきてたんです。プロに頼むとそれなりのお金が発生するような仕事が、そういう人達はほぼタダみたいな金額でやってくれるので、媒体側にもメリットがあって。
しかも、見る人達からすると、自分達と同じような立場、身近な存在の人達が教えてくれる料理の方が親近感も湧いたりするってことで、雑誌でも料理の先生に頼むことが減ってきたんです。これからは、雑誌でもそういう人達を使うのが主流になっていくだろうなっていうのが自分の中でも見えていて、実際、仕事も素人さんが作った料理を見栄え良く作り直すっていう内容のものが多くなってきてたんですよね。「自分がやれることをやっていけばまた先が開けるだろう」という希望はあったんですけど、「私は本当にやっていけるんだろうか?」という不安も正直あったんですよ。
親が精神的に不安定になっているという状況に直面した時に、そういった不安が噴出してきて、1回すべてをゼロにしてみるっていうのもアリなのかなって思うようになったんです。東京で積み重ねてきたことを1回フラットにしてもいいのかなって。
それまでは、止まると死んじゃうマグロみたいに常に自分を奮い立たせて働いてきたんですけど、一度離れたことで無くなったら無くなってもいいじゃないかって思えるようになってきて。

━━僕もフリーランスで仕事をしてるので、「立ち止まったら終わりだ」という感覚はよくわかります。
近藤:ですよね。それで、自分の中にそういう気持ちが生まれたことを友達とかに相談したら、同じようなことを考えている人がけっこういたんです。自分の仕事とか、親の老後のこととかで悩んでいる人が。そういう仲間から「あなたの決断を応援する」と言ってもらえたのは、すごく心強かったですね。
当時、同じような悩みを抱えていた友達の中には、東京を離れて地元や新天地で新しいことを始めている人もいて、そういうのは今でも励みになりますね。

━━それって、いくつの時の話ですか?
近藤:31歳とかかな? 24歳くらいからなんとなくフードスタイリストの仕事はしてたので、スタートは割と早かったんですよ。料理の先生となると30代以上の方が多かったので、若手の中でも一番下くらいの年齢でした。
当時はカフェブームだったので、フードスタイリストもすごくオシャレな職業としてもて囃されていたんですけど、時代の流れと共に立場も変わってきましたね。

━━では31歳のタイミングで乙部に戻ったんですか?
近藤:そうです。

━━葛藤があったにせよ前向きな決断だったと。
近藤:当時は戻るっていうよりは、家の状態が落ち着くまで1~2年は北海道に拠点を置いてやれる仕事は続けようと思ってました。実際、帰ってきた時点でも、連載の仕事とか何本か抱えてたので、2ヶ月に1回くらいは東京へ出稼ぎに行ってたんですよ(笑)。普段の生活は北海道だけど、仕事の場所は東京っていう意識は強くありました。いずれは東京に戻って来るつもりも満々だったので。



━━13年ぶりに北海道に帰ってきた時、乙部とか函館はどういうふうに見えました?
近藤:高校生の時は下宿が時任町だったので、五稜郭とか本町のあたりをメインに生活してたんですけど、その辺の街並みがすごく変わってるのが印象的でした。
玉光堂の向かいに友達の実家のふとん屋さんがあったんですけど、そこに大きなホテルが建ってたりとか、みんなでお茶してたお店が、いかにも観光客ウケを狙ったような居酒屋になってたりだとか。「私達が生活するための街じゃなくて、観光客のための街並みになっちゃったなー」って思いました。

━━戻ってきて5~6年くらい経った今でも、その感覚はあります?
近藤:細かく街を歩いてみると、それなりに地元の人が楽しめるお店があったりして、そういうのは後々気づくようになりましたね。
帰ってきて数年は、また東京に戻る気100%で生活してたので、敢えて地元の人間関係って広げなかったんですよ。
函館も観光客的な目線で西部地区とかの街並みを楽しんでたんですけど、そういう中でおいしいコーヒー屋さんがあったりとかして、「函館も細かく歩くと面白い店がたくさんあるなぁ」って思うようになりました。

━━ちなみに、今も東京に戻るつもりはあるんですか?
近藤:今はないですね。

━━気持ちがそういうふうに切り替わったきっかけはあったんでしょうか?
近藤:こっちに戻ってきて2年くらい経った時に、一度ちはるさんが遊びにきたんですよ。一緒に函館や乙部を回ったんですけど、こっちでの私の生活っぷりをみて「みんな東京に戻ってきてくれることを待ってるけど、あんたはこっちでコレをやったって思えるぐらい突き詰めてみた方がいい!」って言ってくださったんです。この場所で、コレをやったっていう成果を出してからじゃないと東京には戻ってこない方がいいんじゃないかって。

━━なるほど。では、今は函館で自分のことをやるっていうのが一番の目標ですか?
近藤:函館で何かをやるっていうか、将来的に自分がどこにいるかっていうのは決めてないんですけどね。乙部も函館も好きだけど、何かあったらまた違う場所で生活してるかもしれないですし。だけど、どこかで〝自分の場所〟を持って、来てくれる人に〝自分の料理〟を作っていたいなと思っています。



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━━東京と函館の生活を比較してみて思うことなどはありますか?
近藤:東京と函館を比較して思うのは、まず東京には選択肢がたくさんありますよね。日々の生活の中でご飯食べにいくお店とか、買う物とか、選択肢がたくさんあってそれはすごく便利なことだったと思います。
逆に函館は、選択肢は少ないないけれど、開拓しがいがある街だなと思います。将来的にこうありたいとか、目指す世界や到達点がぼんやりでも見えている人にとっては、自分を試せる場所だなと。

━━実際、函館でそういったチャレンジをしている人と出会います?
近藤:私の中で、今の函館には大きく分けて2つのタイプの人がいて、ひとつは「函館が東京や札幌みたいになればいいのにと思ってる人」、もうひとつは「自分の〝好き〟や〝心地良さ〟に従って、函館だからこそできる暮らしを楽しんでいる人」です。
前者で、まだ若いとか意欲がある人は是非一度函館を出てみるといいと思うし、後者のようなかっこいい先輩・友人達がいるから、今の函館は面白いと思っています。

━━なるほど。北海道戻ってきて感じる苦労とか、不満はありますか?
近藤:洋服とか本とかCDとかが買えないことは不満だったんですけど、通販でどうにでもなるし、暮らしてるうちに不便は感じなくなってきました。
ただ、ライブとか演劇とか、なかなかそういうものに触れられなくなったのはちょっと寂しいですね。

━━環境的にはどうですか? 雪とかは大変じゃないですか?
近藤:雪はたしかに大変ですけど、グレーがかった雪景色は本当に綺麗だなって思えるようになりました。学生の頃は、「こんな何にもない街すぐにでも出て、東京に行きたい」って思ってましたけど、今になって東京にはない魅力に気づいたというか。

━━そういう日常の美しさって、正月に2~3泊帰ったくらいじゃ得られない感覚かもしれませんね。
近藤:そうですね。時々帰省して2~3日いるくらいだったら、「何もないな~」「つまんない町だな~」って思って帰ってたかもしれないんですけど、毎日スーパーに行ったり、町を歩いているうちに、昔は本当に嫌だと思ってた環境が、綺麗だな、面白いなって思えるようになりましたね。

━━東京にいた頃は〝雑誌に載せるための料理〟を作っていて、今は実家やアトリエで〝目の前の相手にむけた料理〟を作っているわけですが、その2つって感覚的に違います? 同じ料理と言えど、魅せる料理と、食べる人に合った栄養バランスとかを考えながら作る料理ってのは、別物なのかなって気がするんですけど。
近藤:感覚的には全然違いますね。雑誌に載せる料理も、どういう人に向けてという漠然としたイメージはあるんですけど、それはある意味、空想の世界だったので。やっぱり見栄えがいいことが優先されるんです。今となっては東京でフードスタイリストとしてやってた頃の仕事って、ちょっと現実離れした世界だったんだなーって思いますね。

━━それに対して、ご両親や友達など目の前の相手に作るご飯というのはどういう感覚がありますか?
近藤:両親はずっと田舎で生活していて、年齢も60歳くらいなので、初めて見る料理とか味に対してすごく抵抗があるんですよね。なので、目新しいものよりも食べ慣れてる日本の家庭料理の定番みたいなものを作ることが多いですね。
あとは父が糖尿の気があるので、体に気遣った料理を考えて作るんですけど、そういう個人に向けた料理の仕方ってのは雑誌の仕事ではなかったです。今は、そういう料理が楽しいですね。地元のスーパーに並んでる野菜や海産物も、すごく新鮮ですし。










百閒

「オーナーの山本さんが溜め込んだ蔵書が壁一面に並んでいるブックカフェ。函館にも本気で面白いことをやってる大人がいることを知らされました。何かをやっていく上での考え方とか、何を大事にするかとか、そういうことを学ばせてもらえるお店です。」

シネマアイリス

「高校の頃、学校さぼって遊びに行ってた映画館。それまで雑誌に載ってても、函館では上映されない映画が多かったけど、ここのおかげで良い映画にたくさん出会えました。初めて観たのは『スワロウテイル』だったかな。」

大森浜

「悩んでることがあったりすると、友達と「海行って語るか」って感じで行ってました。放課後の思い出がたくさんあります。」





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