結婚生活の中で唯一主張してきた「函館に帰る」という揺るぎない想い


━━お店がオープンしてから5年間、ここまでを振り返ってみていかがでしょう? 順調にきてるなという手応えはありますか?
齊藤:いやぁ、予想が甘かったのか、考えが足りなかったのかわかんないですけど、なかなか思うようにはいかないですね。ただ、本当にいろんな人に助けられているおかげで、今も頑張れてるなって感じです。

━━「思うようにはいかない」というのは、思い描いている理想はまだまだ遠いということですか?
齊藤:そうですね。振り返ってみると、自分の甘さ、ダメさってのを痛感した5年間でしたね。僕、けっこうやれると思ってたんですよ。飲食業で。
たとえば、料理だったら、あのシェフが美味しくて、あのシェフが美味しくないっていう理由もわかるし、ホールスタッフでいったら、あのスタッフがいい理由はこれで、悪い理由はこれだってのもわかるんです。だから、あとは自分がそれをできればいいだけの話なんで、正解は知ってるからもっとやれるかなって思ってたんですよ。そこを目指せばいいだけなので。

━━「こうすれば間違いなく良いお店になる」という理想系が見えているにも関わらず、なかなかそこに辿り着けない理由というのは何なのでしょうか?
齊藤:そこが計算外だった部分なんですけど、僕、自分が思ってたよりも精神力が弱かったんですよね。
組織の中で働いてるときって、上司はもちろんですけど、部下の目ってのも自分を律するというか、襟を正すためのひとつの要素になると思うんですよ。「先輩、あんなこと言ってるけど、自分は全然できてないじゃん」みたいに言われるようじゃまずいんで。そういうふうに、自分の行い、振る舞いをチェックする人がいない環境って、自由だけど決していい状況だとはいえなくて。『kirin』は、僕ひとりでやってるので、その環境が逆に甘えを生じさせていたなって思うんです。

━━なるほど。すべては自分の責任という環境は、裏を返すと、自分以外に文句をいう人間がいないという環境でもあると。叱ってくれる上司や、常に自分のことを見ている部下がいるという環境は、結果的に妥協が許されない環境でもあるということなんですね。
齊藤:そう思います。「何月何日に、飲食業の粋を集めた営業をします」ってことは可能だと思うんですよ。ただし、それを365日、ずっとやり続けるってことは、難しいんだなーって実感してます。
良いフリこきたい先輩とか後輩がいたら、何十日間とかは保つような気がするんですけど、ひとりでそれを続けられるほど、自分は精神的に強くないんだなって。やっぱ、僕は人に見られてなんぼなのかもしれないです。人に見られるのが、原動力になってるというか。そういうのがないと続かないってのは、本当に情けないことなんですけど。

━━そういう点を踏まえて、今後、お店をどうしていきたいという目標はありますか?
齊藤:5年間で、自分の至らなさはよくわかったので、そこを改善して、理想の営業を続けられるようにやっていきたいですね。

━━お店のこと以外で、今後の人生におけるビジョンなどがあれば教えて下さい。
齊藤:僕は、「函館に帰る」っていうのが、人生における大きな目標であり、楽しみのひとつなんです。地域の活性化っていったらおこがましいですけど、最終的には地元で面白いアクションになることをやりたいんですよね。

━━それは飲食を通じて?
齊藤:飲食くらいかなとは思ってます、僕ができるのは。飲食っていうフィルターを通して、発信できることはまだたくさんあると思うんです。
遠くから見ていると、函館って、もっと素敵な街だとわかってもらえてもいいのになって思うんですよね。

━━過小評価されてるんじゃないかと。
齊藤:そうですね。まだまだ評価が低いし、魅力が伝わりきってないんじゃないかなって。それを僕が伝えられるのかっていうと、わかんないですけど、まだ余地はあるんじゃないかなと。
東京で何年も生活してきた中で、大人が動いたら、物事が動くんだってのが実感としてわかったんですよ。たぶん、ずっと田舎にいたら、わかんなかったんじゃないかなって思うんですけど。
子どもの頃の感覚でいえば遊びに近い、たとえば秘密基地を作るようなことが、大人が真剣に取り組むと、実際に街を動かしたり、人を動かしたりってことになって、産業を生み出してしまったりすることもあるんだってのを目の当たりにしてきたので。それって、秘密基地を作るのと同じように純粋にワクワクするじゃないですか。自分の周りでそういう人を見ていると、僕も何かしてみたいなって思うようになって。

━━これまでの経験をもとに、何か地元に還元したいという思いが芽生えきたわけですか。
齊藤:はい。僕は、自分のことを〝三軒茶屋にいる北海道の人〟だと思っているので、三茶で何かしたいというよりは、やっぱり地元でアクションを起こしたいです。



━━東京で暮らし始めて20年以上が経ちますが、今の函館はどういう風に見えていますか?
齊藤:良くも悪くも〝見方〟は変わりましたよね。前は、景色とかもただ単に流れていくものでした。「あ、あそこに何かできたねー」って感じで。だけど今は、「あそこにあんなものができたか。あの会社が関わってるってことは、ああいう狙いがあるんだろうなー」とかって考えちゃいますね。お店の陳列とか、店員さんの接客とか、以前は何も気にしなかった部分にも、「もっとこうすればいいのに」とかって思うようになりました。
あと、単純に感想だけいうと、寂しい感じがするっていうか。どんどん街の規模が小さくなっているような感覚はありますよね。うちの父はタクシー会社に勤めていたんですけど、僕が小さい頃、それこそバブル期のタクシーの運転手のデートって、寿司屋だったんですって。そのくらい景気が良くて、タクシーがつかまらないって現象が函館でも起きてたらしいんですよ。

━━東京だと、1万円札を振りかざしてタクシーを停めてたなんて話がありますが、函館も似たような状況だったんですね。
齊藤:そうらしいんですよね。それで、やっぱり函館観光の客も多かったらしくって、今よりも街が賑わっていたと。そういう話を聞くと、なんとなく寂しくなってるんじゃなくて、本当に寂しくなってるんだなって思うじゃないですか。だから、もう一回、グワァーって盛り上がってほしいなと思ってて。

━━「函館に帰るのが、人生における大きな目標」だというお話でしたが、具体的にいつ帰ろうみたいな計画はあるんですか?
齊藤:本当は、去年の夏に帰る予定だったんですよ。父が体調を崩しちゃって、あまり外に出れなくなっちゃったんですよね。それで気持ちも弱ってきてて、このままじゃ良くないなって思って。
一応、愛を受けて育ってきたという気持ちがあるんで、できるうちに何か返さなきゃと。大学まで出させてもらってスポーツの関係の仕事にもつかず、役者やるっていって役者もできずにいたので、じゃあもう愛情として返すしかないって思ったんです。

━━函館に帰ることについて、奥さんはどういう気持ちだったんですか?
齊藤:妻には、結婚するタイミングで、「俺は将来的には函館に帰る人間だからね」って話はしてたんですけど、彼女は東京が大好きな人なので、「田舎に行くのはちょっとな」って気持ちは伝わってきてたんですよね。きっと行きたくないんだろうなって。だけど、「いずれは函館に帰る」って想いは、僕が結婚生活の中で唯一主張してた部分で、そこだけは強く思ってたんです。ただまぁ、タイミングを見て連れて行かないと、彼女が精神的に具合悪くなっちゃっても嫌だし、何となく棚上げ問題として、ぼやっとはしてたんですよ。
そしたら、父が具合悪くなって。僕が「んー」って思い悩んでたのを何となく感じてたんだと思うんですけど、妻がいきなり「kirinも別に大繁盛で、すごい大変って状況でもないんだし、10年くらい前から北海道新幹線の前に帰るって言ってたじゃん。だから、北海道新幹線がくる前に、函館帰ったら? いいよ!」って言ってくれて。それで、気持ちを固めて、帰省したんです。僕としては、父も「おぁ、帰って来るってか! 大歓迎だぞ!」って言うと思ってたんですけど、実際には「ダメだ」って言われて。
僕としては一大決心で帰省したもんだから、「はぁ? 何言ってんのよ?」ってちょっと喧嘩みたいになっちゃったんですよね。僕、けっこういい子ちゃんだったんで、生まれて初めてくらいの喧嘩で。こっちがどんな思いで、今まで生活してきて、東京が大好きな妻が帰ってもいいって言ってくれたのに、「このタイミング逃したら、妻だって帰るって言わねえぞ!」って。父親も父親で「嫁さんのせいにすんのか!」とかって言い合いになって。かなり緊迫した話し合いになったんですけど(笑)。

━━お父さんとしては、自分の体調が、息子が帰ってくる要因のひとつになってるのが嫌だったんですかね。我が子に迷惑かけたくないというか。
齊藤:たぶん、そうだと思います。かっこつけなんですよ、本当に。それで、帰るって話は振り出しに戻ったんです。
なので、いつ帰るかってのは、機会を見てなんですけど、娘が今中一で学校のこともあるし、僕のタイミングだけでは計れないなってところなんですけど、いずれは必ず帰るって気持ちは家族には伝えてあります。
もしかしたら、娘が東京で何かやりたいって言い出しそうな気もするので、そうなったら妻に残ってもらうって選択をとるかもしれないですし。「ちょっと函館で基盤作りに帰るから」って、単身、僕だけ帰るみたいなこともあるかなって。

━━そこまでしてでも、函館に帰るという気持ちはブレないんですね。
齊藤:帰るってことは、絶対にブレないですね。そう育てられてきたので。ただ、僕は家族との幸せために仕事をしているので、函館に帰ることで家族との幸せな時間が崩れたら元も子もないとは思ってるんですよ。離れてても、仲良く、幸せに暮らす自信はあるんですけど、自分の仕事とかやりたいことのために家族がないがしろにされるのではまったく意味がないって。そこに関しては、妻も娘も理解してくれているので、「函館に帰ること」と「家族で幸せに暮らす」ってのは両立できると思っています。





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セブンビーチ

「小学生の頃に釣りをしてた場所ですね。昔は七重浜海水浴場って呼ばれてたんですけど。上磯方面を見ると砂浜がずっと続いてて、函館方面を見ると造船所やら、フェリーやらが見えるんです。ラッセンの絵を見て、思い出したのもここの景色ですね(笑)」

ハセガワストア

「ハセストって独特の匂いがあるんですよ。あの匂いを嗅ぐと「函館きたな~」って気持ちになりますね。高校時代、夜中に立ち読みとかしに行ってた思い出があります」

ラッキーピエロ

「ラッピってお世辞にもスマートとは言えないですよね。だけど、ブレずにあの世界観を貫いてるところがかっこいいなと。自分もスマートに生きられなかった人間なので、ああいう姿勢には強くシンパシーを感じるんですよね」