自称"シャバイやつ"だった少年が
遊びの途中で出会い選んだヒップホップという仕事

tha BOSSさん(44)
 職業:ラッパー
出身地:函館(大中山)
現住所:札幌
 函館→札幌
  

 
 
 
北海道・札幌を拠点に、日本のヒップホップシーンのトップを走り続けるTHA BLUE HERB』。そのフロントマンを務めるtha BOSSさんは、大中山で生まれ、高校卒業までの多感な時期を函館で過ごしました。今やヒップホップシーンのみならず、広く音楽ファンの間で知られる存在となったtha BOSSさん。今年10月には初のソロアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP』を発表し、現在は全国ツアーを敢行しています。
常に強気で、誰に対しても、どんなステージにも物怖じしないといったイメージのtha BOSSさんですが、インタビューでは幼い頃の自身を「ずっと大したことなかったよ、俺は」と振り返っていたのが印象的でした。これまでメディアではあまり語られることのなかった幼少時代や、札幌でヒップホップに出会った経緯、今の函館について思うことなど、様々なお話を伺いました。

 
取材・文章:阿部 光平、撮影:馬場 雄介、イラスト:阿部 麻美 公開日:2015年12月25日 

 
 

 
 
 
 
 
 

プロ野球選手に憧れる少年から地元のヤンキーへ

 
 

 
━━まずは幼少期のお話を伺いたいんですけど、生まれた場所や、どの辺りに住んでいたのかを教えて下さい。
tha BOSS:ずっと大中山だね。生まれた病院まではちょっとわかんないけど。
 
━━ご両親も大中山の方だったんですか?
tha BOSS:俺の父さんは大中山の人で、母さんは東京の人だったはず。
 
━━そうなんですね。幼稚園のことって何か覚えてますか?
tha BOSS:幼稚園は、俺の母さんが、その時代にしては意識が進んでたというか、無農薬とかに関心が高い人だったんだよね。だから、近所の幼稚園じゃなくて、湯の川にあった私立の幼稚園に行ってた。何となくだけど進歩的な意識の人たちがやってるとこに。
 
━━ということは、大中山から湯の川まで通ってたんですね。
tha BOSS:たぶん、そうだね。うちは車なかったから、誰か近所の人に乗せてってもらってたんだと思うんだけど。俺の中にはそういう記憶がある。詳しく話したことはないからわかんないけど。
 
━━先日発売されたソロアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP』の中には、ご自身の幼少期について歌った『REMEMBER IN LAST DECEMBER』という曲がありました。それを聞く限り、お母さんは女子校の先生だったとか。
tha BOSS:そう。
 
━━やはり教育に関心が高いお母さんだったんですね。ご兄妹も、みんなその幼稚園に通っていたんですか?
tha BOSS:いや、俺だけだった。俺が長男だったから、まぁなんだろね、最初の子どもってなんかいろいろ試してみる感じなのかな。
 
━━なるほど。幼稚園の時のことで、特に記憶に残っている出来事はありますか?
tha BOSS:大中山のガキからしてみると、湯の川の町はそれなりに都会だったから、あんまり馴染めなかったんだよね。幼稚園がそんなに好きじゃなかったから、そこから脱走したって記憶はある。
 
━━えぇ!? 幼稚園を脱走したんですか?
tha BOSS:先生に捕まったけどね(笑)。
 
━━よっぽど嫌だったんですね。外で遊ぶのが好きなのに、そういう幼稚園みたいな環境に押し込められるのが嫌だったという感じですか?
tha BOSS:いや、そういうのではなくて。なんだったんだろうね、その頃は何を考えてたのかわかんないけど、記憶として残ってんのは、そこを脱走して、母さんがいる建物に行ったんだけど、ドアが開かなくて、後から捕まるっていう記憶かな。そういう映像がずっと残ってる。夢のように。
 
━━確かに恐い夢みたいな映像ですね。
tha BOSS:夢だったのか現実だったのか。たぶん現実だと思うけど。それは未だに残ってる。あとは、友達と便器の前でバッテンにして小便してた記憶とかも残ってるけど。
 
━━子どもの頃、やりますよねソレ(笑)。では、幼稚園は幼稚園で行ってたけど、遊んでたのは大中山の友達が多かった感じですか?
tha BOSS:そうだね。近所にたくさん子どもいたから、そこら辺の、弟とかも含めて遊んでたね。

 
 
 

━━小学校は大中山小ですか?
tha BOSS:そう。
 
━━当時って何クラスくらいあったとか覚えてます?
tha BOSS:3クラスかな。
 
━━けっこう多かったんですね。今よりも多いかも?
tha BOSS:いや、今も多いみたいだよ。大中山はやっぱベッドタウンだから。
 
━━そうか、最近向こうの方、七飯とか北斗って函館市内よりは人が増えてるって聞きますね。
tha BOSS:そう、ほんとそんな感じらしい。
 
━━小学校の頃に熱中してたことってあります?
tha BOSS:野球だね。野球ばっかりやってた。プロ野球選手になりたかったからね。
 
━━そうなんですか! 野球は自分の意思で始めようと?
tha BOSS:やっぱ、あの時代のガキは野球だったよ。ファミコンが入ってきたのが小6で、サッカーのブームも、もうちょっと後なんだよね。キャプテン翼とか。だから、野球しかなかったよね。地域に少年野球団ってのがあって、やっぱそこが花形だったし。憧れてたもんね、そこの先輩とかに。
 
━━チームとしては強かったんですか?
tha BOSS:俺は勝手に強いと思ってたけど、どうなんだろ? まぁ、全道大会直前くらいまではいってたね。でも、記憶では大中山よりも、鹿部とか知内とか海の近くの町がすごい強かったのは覚えてる。
 
━━足腰強いですもんね、海の側の学校って。
tha BOSS:そうそう。絶対勝てなかったもん。懐かしいなぁ。
 
━━ちなみに、ポジションはどこだったんですか?
tha BOSS:ポジションはショート。小学校からずっとショート。そこしかやったことない。
 
━━ショートってチームの中でも核というか、一番上手い子がやるポジションってイメージがあるんですけど。
tha BOSS:どうだろね。一番上手かったとは思わないけど、上手い方だったと記憶してる。
 
━━当時から背は大きい方だったんですか?
tha BOSS:いや、全然低かったよ。背が伸びたのは中学校入ってからだから。
 
━━そうなんですね。当時、プロ野球選手を目指していたということは、そのまま中学校でも野球部に?
tha BOSS:そう。盛田幸妃って知ってる? 最近亡くなった元プロ野球選手なんだけど。確か有斗から大洋ホエールズに入った人で。
 
━━あ、ニュースで見ました。最近、亡くなったとニュースになってましたよね。どういう方だったかまでは、詳しく知らないですけど。
tha BOSS:そうそう。確かあの人が中3で、俺が中1で、俺らの学校に来て対戦したことあんだよね。その時、俺は一番バッターで、盛田幸妃がピッチャーで、なまら球速くてさ。目つぶって振ったら、三遊間真っ二つになったんだよ(笑)。それが俺の中学時代の野球の1番の思い出だね。
 
━━すごい(笑)! それは、後々まで語れる良いネタですね(笑)。
tha BOSS:未だにしゃべってるよ(笑)。
 
━━面白いなぁ(笑)。でも、1年生から試合に出てたってことは、やはり野球が上手かったんですね。
tha BOSS:上手かった方だと思う。だけど、中学に入ると、田舎のガキだからさ。世界が開けていくにつれ、野球に対する熱はだんだん冷めていったよね。小学校の時が一番一生懸命だったかな。
 
━━それは何か、野球に代わるものに出会ったということですか?
tha BOSS:まぁ、友達と夜遊んだりとかしてたからねー。なんか、半端なチンピラみたいな感じだったよ。
 
━━では、それまでは野球ばっかりだったのが、中学校になると友達と夜遊びに出歩いたりして、そういう方が楽しくなっちゃったというか。
tha BOSS:そうだね、やっぱり、田舎のガキなりに、音楽にハマったり、夜みんなで集まって遊んだりだとか、そういうような。なんていうんだろ、ヤンキー化していくよね。クラスで一番悪いグループではなかったけど、まぁそれなりに狡っからいガキだったから、そういう感じでドロップアウトしてったよね。
 
━━だけど、野球は3年間続けていたんですか?
tha BOSS:うん、一応続けた。まぁ、籍を置いてたくらいなもんだけどね。
スポーツに対する熱量って、その監督の熱心さにもよるのかなって思うんだけど。小学校の頃はすごく熱心な人達が教えてくれてたからさ。恐かったし、けっこうマジでやってたけど、中学校の時は、そういう恐い監督がいるわけでもなかったから。
小中って同じ地域だったから、そのまま同じチームで上がっていくんだけどさ、最初はみんなすごく熱かったんだけど、だんだん熱が冷めて、チームの規律も緩んでいって、自然とヤンキー化していったっていう(笑)。
 
━━そういう空気感は体験的にもよくわかります。そういう中でプロ野球選手になるという夢もなくなっていったという感じですかね。
tha BOSS:うん、中学の頃にはもうなかったね。
まぁ、でも、高校入って、北高だったんだけど、一応野球部には入ったんだよね。入ったんだけど、入った初日に髪を坊主にしなきゃだめって言われて、2日目でやめた(笑)。そこで終わったね、俺の野球人生は。
 
━━坊主に抵抗があったんですか?
tha BOSS:嫌だったね。そういう犠牲を払ってまで、野球に情熱を注ぐ気持ちはなかったし。それに、函館の高校野球は、あの時代、有斗が飛び抜けて強かったからさ。有斗に入らないと、甲子園を目指すどころか、全道大会にすら行けないし。だから、有斗に入らなかった時点で、その進路はゼロっていう感じだったよね。
 

第2回へ続く