小さい頃から〝嫌い〟だった東京を離れ
一目惚れした街で〝好き〟を大切に暮らす

近藤伸さん(30)
 職業:カフェオーナー
出身地:東京
現住所:函館
 東京→函館

 
 
昨年11月に函館市谷地頭町でカフェ『classic』をオープンさせた近藤伸さん。東京で生まれ育った彼は、「小さい頃からずっと東京が嫌いだった」といいます。東京で消費されているものが、東京で生産されたものではないことに〝違和感〟を覚えた近藤さんは、都内で10年間経営していた飲食店を閉め、函館に移住。地域の食材や環境と向き合いながら、〝違和感〟のない暮らしを堪能しています。外の街から移住してきたからこそ見えた函館の魅力や物足りなさ、東京での暮らしとの違い、そして街と店の関係性などを語っていただきました。

 
取材・文章:阿部 光平、撮影:妹尾 佳、イラスト:阿部 麻美 公開日:2016年1月8日

 
 

 
 
 
 
 
 

19歳で独立。彼女との出会いから3ヶ月で入籍。

 

 
 
━━もともとはイタリアンの道を志していたということですが、先ほどの話だと実際には下北沢のお好み焼き屋さんで働くことになったわけですよね?
近藤:結果的にはそうなりました。高校在学中、研修として色んな職場に送られるんですけど、その中で良いイタリアンの職場に出会ったんですよ。そこのシェフがとにかく魅力的な人で。人柄も良いし、カリスマ性もあって。僕もそこで働きたくて、実際に春から働かせてもらうことがほぼ決定してたんです。だけど、高校3年生の11月くらいにそのシェフの方がお店を辞めちゃって。
 
━━えー、はいはいはい。
近藤:その人に惹かれて就職を決めたのに、退社されちゃったので、職場として魅力を感じられなくなっちゃって。だから学校には「就職するの辞めます」って言ったんです。学校側としては、いろんな繋がりがあったんで、まずかったらしいんですけど。
 
━━まぁ、顔に泥塗るって感じですよね。
近藤:そうですね。でも何とか辞めさせてもらって、自分で仕事を探し始めたんです。それで、結果的にお好み焼き屋さんで働くことになったんですよね。
 
━━それは正社員としての採用だったんですか?
近藤:アルバイト採用でした。そのおかげで働けば働くほど給料に反映されて、月に256万くらいは稼がせてもらってました。
 
━━18歳としては、かなり良いお給料ですよね。では、そこでお金も貯め、技術も学び、独立を決めたと。
近藤:はい。ちょうど1年くらい働いた時に、父が亡くなったんです。それで、独立を決意しました。
 
━━お父さんのお店を継ぐつもりだったんですか?
近藤:いや、父とは一緒に暮らしてなかったので、そういうつもりではなかったんですけど、独り立ちしたいなと思って。
 
━━なるほど。実際、自分でお店を始めてみて、手応えはいかがでしたか?
近藤:始まってからは、いろんな人との出会いがあって、人間として成長できてるなという実感はありましたね。
最初の1年は休みなしで営業して、その後も休みは月に1日だけでした。たぶん10年で100日も休んでないと思います。
 
━━肉体的にはかなりハードな10年間ですね。
近藤:でもまあ、好きなことやってる時点でそんな風には感じなかったですね。
 
 

 
 
 
 

━━奥さんは函館出身の方ということでしたが、どういった経緯で知り合ったんですか?
近藤:お店に来てたお客さんの友達っていう感じです。出会って1ヶ月くらいで婚約して、3ヶ月後には入籍しました。
 
━━えー! 早い! どうしてというのは失礼ですが、何がそう駆り立てたんですか?
近藤:自分のステップとして、そろそろ結婚しないと男として次には上がれないかなと思って。タイミングですかね(笑)。
 
━━自分にそういう気持ちがあって、たまたまそのタイミングで目の前に現れたのが彼女で、そこからトントン拍子で結婚に至ったってことですか?
近藤:なんか、恋愛して別れるのも、結婚して別れんのもあんま変わんないなーって思ったんで。だったら別に、結婚しちゃえば良いかなーって。
 
━━当時の彼女はどういう反応だったんですか? もう、付き合って1ヶ月くらいでプロポーズしたわけですよね?
近藤:たぶん、何もわからないから、逆に良かったんでしょうね。「賭けてみるか!」って気持ちになったんだと思います(笑)。
 
━━奥さんも肝が座ってますね。
近藤:彼女、結婚するちょっと前に大きな病気していて、拾った命みたいな感じだったんです。それで、ちょうど函館に帰ろうかどうかとか迷ってた時だったんですよ。だから、お互いなんかタイミングが合ったんですよねぇ。
 
 

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