大好きなファッションに対するトラウマが育んだ
ファッションデザイナーとしての反骨精神

今泉円花さん(25)
 職業:ファッションデザイナー
出身地:函館(上磯)
現住所:東京
 函館(上磯)→千葉→函館→東京

 
 
ファッションデザイナーとして、自身のブランド『Mady Mady』を運営している今泉円花さん。独自の世界観が詰まった洋服を作り続け、きゃりーぱみゅぱみゅさんや、はるな愛さんに衣装提供を行うなど、徐々に活躍の場を広げています。
幼い頃からオシャレに関心があったという今泉さんですが、高校生の時に飲食店で「わっ! でっかいリボンつけたヤツ入ってきた!」と指をさして言われたことがショックで、「私、函館にいちゃいけないんだ」と思うようになったといいます。今は東京で自分を解放できる場を見つけ、思い通りに表現することの楽しさを知ったという今泉さんに、ファッション好きをひた隠しにしていた幼少期のことや、高校生の時に味わったファッションに対するトラウマ、ストーリー性を意識した服作りについて伺いました。

 
取材・文章:阿部 光平、撮影:馬場 雄介、イラスト:阿部 麻美 公開日:2016年5月13日

 
 

 
 
 
 
 

函館には着たい服がないから、自分で作ってみよう!

 
━━今泉さんは、自らファッションブランドを設立し、デザイナーとして活躍されているとのことですが、最初にご自身のブランドについて教えて下さい。
今泉:専門学校を卒業して、2012年にブランドを立ち上げました。当時、〝マディ〟っていうニックネームで呼ばれてて、それがけっこう気に入っていたので、ブランド名は『Mady Mady』にしたんです。ちょっと自己主張の強い名前なんですけど(笑)。
 
━━ニックネームがブランド名の由来なんですね! どういったコンセプトを掲げたブランドなのでしょうか?
今泉:今、自分に自信がない人が多いなって感じていて、もっと自分に自信を持つためにはどうしたらいいんだろうって考えてたんですよね。それで、もっと自分自身を尊重できたら、それって自信に繋がるんじゃないかなと思って。
例えば、好きな服を着て、街を歩いている時って、いろんな反応があると思うんですよ。「何あれ?」って感じの批判的な目もある一方で、「そういう生き方もあるんだ」っていうポジティブな反応もあるじゃないですか。そうやって、周りに影響を与えられるような服作りをしたいなって思って、『Mady Mady』を始めたんです。なので、コンセプトとしては「世界でたったひとりの〝わたし〟を愛するために」というのを掲げています。
 
━━ガーリーなデザインの服が多いですが、こういうテイストは自分の好みから派生しているんですか?
今泉:もともとは自分が好きなテイストですね。ちょっと子どもっぽいようなシルエットが好きで。大人の服って、当たり前だけど大人っぽいシルエットが多いじゃないですか。だけど、私が着たいのは、こういう服じゃないなって。
子ども服って全部かわいいなって思ってて、「これ、大人用があったら最高だろうな」というところから、こういうテイストになりました。こういう服を着たい大人って、私以外にもいるよなと思って。
 
━━そもそも〝自分が着たい服を作る〟ってのが根底にあるんですね。
今泉:そうですね。服作りは高校生の時に始めたんですけど、それも、「函館には自分が着たい服がない」というのがきっかけだったんです。だけど、服を買うために東京に行くのは大変だし、じゃあ自分で作ってみようかなって。
 
━━なるほど。だけど、高校生の時は、服作りの知識とかはないわけじゃないですか。どうやって服を作ってたんですか?
今泉:服作りの雑誌を見たり、あとは独学ですね。最初にパターンっていう型紙を作るんですけど、その紙をどこで入手したらいいかわからなかったので、半紙をセロハンテープでくっつけて、大きな紙を作って、それで型紙を作ってました。「あれ、半紙って透けてるし、書きやすいし、いいんじゃない?」みたいな感じで(笑)。
 
━━DIY精神ですねー(笑)。自分で作った服は、実際に着ていたんですか?
今泉:着たのもあるし、着なかったのもありますね。ちょっと派手すぎて着れないのもあったんで、そういうのは封印したり(笑)
 
 

 
 
 

━━「着たい服がないから、自分で作る」ってところが出発点ということは、もともとファッションに対する関心が高かったんだと思うんですが、ファッションに興味を持ったきっかけは何だったのでしょう?
今泉:一番はじめは、小学校3年生の時だったんですけど。4つ上のお姉ちゃんと一緒に雑誌を見るようになったんです。『ViVi』とか『Seventeen』とか。それで、お姉ちゃんの真似をして眉毛を剃ってみたり、髪を染めたり、ネイルをしたり、あと同じ店で服を買ったりって感じで。そこからですね、ファッションに関心を持ち始めたのは。
だけど、そういう服を着て小学校には行ってなかったんですよ。周りから浮いちゃうと、イジメられちゃうから。あまり目立たずに生きていきたかったので、学校ではそういう趣味を隠してて、休みの日にお姉ちゃんと遊びに行く時は、ちょっとお化粧して、上磯ダイエーとかに行ってましたね(笑)。
 
━━上ダイ(笑)。
今泉:そうなんですよ(笑)。でも、上ダイとか行くと同じ学校の子に会っちゃうんで、バレバレだったんですけどね。学校で会った時に、「すごかったね、こないだ会った時(笑)」みたいな感じで言われたりしてました(笑)。
 
━━そういう時に、同級生と会うのは恥ずかしいって気持ちだったんですか?
今泉:恥ずかしかったですねー。自分の〝違う姿〟を見られたって感じで。
 
━━だけど、着飾ったりメイクすることによって、自分のテンションは上がるわけじゃないですか。つまりは〝見せるためのオシャレ〟ではなく、〝自分の気持ちを盛り上げるためのオシャレ〟だったってことですか?
今泉:そうなんでしょうね。
 
━━自分のテンション上げるためのファッションが、人に見られることを意識するファッションに変わったのは、どういうタイミングだったのでしょうか?
今泉:周りの子がオシャレするようになってからですね。中学生になってからです。みんなオシャレしてるから、私もやっていいだろうと思って。
 
━━当時はどういうファッションが好きだったんですか?
今泉:中学生の頃はギャル系のファッションが好きでしたね。109系のファッション誌を読んでて、『COCOLULU』の服とかを着てました。
 
━━同級生と一緒に買い物に行ったり?
今泉:買い物は、お母さんと行くことが多かったです。
 
━━お母さんもファションに対する理解がある人だったんですね。
今泉:そうですね。お母さん自身が、けっこう個性的なファッションの持ち主で。だから、私のやることに対して。お母さんはずっと理解がありました。
私、高校からはロリータファッションにハマっていて、函館の街だとけっこう浮いちゃうんですよ。一度、ご飯屋さんに入ったら、ヤンキーっぽい人に、「わっ! でっかいリボンつけたヤツ入ってきた!」って、思いっきり指をさされて言われたんです。私、それがすっごいショックで、黙って扉を閉めて出てきちゃったんですよ。その時、「私、函館にいちゃいけないんだ」って思っちゃって。だけど、お母さんはそういう部分でも理解を示してくれました。それが救いでしたね。
 

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