パソコン少年から会社経営者へ
やりたいことを我慢しないためにお金を稼ぐ!

若山史郎さん(32)
 職業:会社経営
出身地:函館
現住所:東京
 函館→東京

 
 
「僕、お金かせぐのがめちゃくちゃ大好きなんですよ」と明言する若山史郎さん。一見、現金至上主義のようにも聞こえる言葉ですが、その裏には「やりたいことをやるためにはお金が要る」という前向きな信念がありました。パソコンとカードゲームに熱中していた学生時代から、様々な会社を渡り歩いて独立に至るまでの経緯、家族と共に過ごしていく今後のヴィジョンまで、東京と函館の視点から様々なお話を伺いました。

 
取材・文章:阿部 光平、撮影:馬場 雄介、イラスト:阿部 麻美 公開日:2015年6月23日

 
 

 
 
 
 
 

あらゆる興味に手を伸ばした函館の青春時代

 
━━では、話を過去に戻して、函館にいた頃のお話を伺いたいと思います。まず、幼少期はどこで、どんな生活をしていましたか?
若山:生まれた時は青柳町に住んでいて、そのまま青柳小学校へ入学しました。
 
━━当時は各学年何クラスくらいあったか覚えてますか?
若山:たしか2年生くらいの時に、谷地頭小学校と合併したんですよ。それで3クラスになったという記憶があります。各クラスの人数は30人切るくらいでしたかね。
 
━━そのままいくと中学校は、潮見ですか?
若山:僕は附属に行きました。
 
━━それは自分の意思で行こうと?
若山:まぁ、自分の意思といえば自分の意思なんですけど。当時、僕、ものすごくパソコンが欲しかったんですよ。父親にそれを言ったら「附属に合格したら買ってやる」と言われて。そこからむちゃくちゃ勉強したんです。
ただ、受かっても附属に行く気はなくて、合格してパソコン買ってもらったら、普通に潮見中に行こうと思ってました。附属には合格してから、行くか行かないかを決めるタイミングがあるということだったので。
でも、僕の世代から、そのシステムがなくなっちゃったんですよね。選択の余地がなくなってしまって(笑)。結局、拒否することもできず、附属に通うことになりました。青柳小学校から附属に行ったのは僕だけだったので、かなりアウェーな状況でしたね
 
━━目論見が外れてしまったわけですか。そもそもどうしてパソコンが欲しかったのでしょう? 当時、小学生でパソコン欲しいという人は、かなり珍しかったのでは?
若山:そうですね。まだ Windows95が出るか出ないかという時だったので、自分の周りでもパソコンが欲しいという友達は皆無でした。
 
━━そんな環境の中で、なぜパソコンに対する興味が芽生えたのでしょうか?
若山:僕、小さい頃から家電量販店のチラシがすごく好きで。日曜日の新聞とかに入ってくるじゃないですか。コジマ電気とかデンコードーとか。イトーヨーカドーのチラシにも申し訳程度に家電のコーナーがあったんですけど。そこでウォークマンとかを見て「ここが安い」とか「先週よりも安くなってる」みたいな情報を勝手にずっと調べてたんです。
 
━━失礼ですが、ちょっと変わった小学生ですね(笑)。
若山:今思うとそうですね(笑)。当時、親に物をねだる時には「今が買い時である」といのロジックで話をしてたんですよ。経済的な価値があるんだという。
 
━━情報を元に理論武装した上で、プレゼンしてたわけですね(笑)。
若山:親が言うには、どうやらそうらしいんですよね(笑)。そういった中でいうと、パソコンって単価が高いじゃないですか。だから値下げのインパクトがでかいんですよ。「1万下がってる!」みたいな(笑)。ウォークマンはどうやっても1万さがらないじゃないですか。元値がせいぜい1万円くらいなので。
あと、当時はインターネットがないから物のスペックとか調べられないんですよ。だから、チラシはスペックを調べるための資料でもありました。
 
━━先ほどの発言を改めます。ちょっとどころか、かなり変わった小学生ですね(笑)。
若山:気持ち悪いですよね(笑)。とりあえず、小学校5年生の時に自由研究と年賀状をワープロで作った経験があって、その時から、自分の中には「コンピュータってのはイケてるものだ」という意識がありました。
 
 

 
 
━━買ってもらったパソコンでは、何をしていたんですか?
若山:NECの『 Can BE』( 2)というパソコンだったんですけど、テレビも見れたりとか、当時としてはかなり多機能なパソコンで。筆箱とかもそうですけど、男の子って多機能な物にドキドキするところがあるじゃないですか。それで選んだんですけど、結局はマインスイーパ( 3)とかソリティア( 4)とか、ゲームばっかりやってましたね。あとはタイピングのゲーム。あれを死ぬ程やってたので、タイピングは今でも超早いです(笑)。
 
━━一応、今の仕事にも活かされているんですね(笑)。念願のパソコンを手に入れた中学校時代でしたが、学校生活はいかがでしたか?
若山:とりあえずテニス部に入って
 
━━ソリティアしながら、テニスもしてたんですか(笑)?
若山:そうですね(笑)。テニス部とパソコン部にも入ってました。それと、応援団もしてました。
 
━━ソリティアしながら、テニスもして、応援団まで(笑)??
若山:我ながら無茶苦茶ですね(笑)。テニスは高校、大学でもやってて、高校の時は一応全道大会まで行きました。団体戦のメンバーだったので、半分補欠みたいなものですけど。
 
━━高校はどちらへ行かれたんですか?
若山:中部です。附属の男子はラ・サールか中部に行くのが普通といった感じでした。結果的には中部に行ってよかったですね。すごく自由な学校だったので。
 
━━小中高と、函館にいた学生時代、特に夢中になったものを挙げるとすれば何でしょう?
若山:やっぱりカードゲームですね。はじめは仲がいいグループのリーダー的な人が、『マジック:ザ・ギャザリング』を持ってきて、やってみたらむちゃくちゃ面白かったんですよ。すぐにハマりました。
 
━━当時、函館でのプレイ人口はどのくらいだったんですか?
若山:そのゲームが日本に入ってきたのが1996年で、僕が初めてやったのもその年でした。函館では年に4回くらい大会があって、5、60人くらいは集まってたかな。
今では幕張メッセとかで大会が行われているんですけど、参加者は4000人くらいいます。テニスの4大大会のうように、招待選手しか出られないような大会もあるんですけど、そこだと350万円くらいの優勝賞金が出ます。トレーディングカードゲームの元祖ということもあって、規模としてもダントツで世界一ですね。
 
━━後に仕事として関わるようになったことを考えると、カードゲームと出会うきっかけをくれた附属のリーダーには感謝ですね。
若山:そうですね。まぁ、そいつは飽き性だったので、やり始めて3ヶ月くらいで辞めましたけどね(笑)。
 
 
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