自由奔放な言動の根底にある
揺るぎない信念と家族愛

木村房祥さん(33)
 職業:会社員
出身地:函館
現住所:函館
函館→オーストラリア→函館

 
「煙臭くてすいません。朝から子どもとバーベキューやってたもんで」と笑顔で待ち合わせ場所にやってきた木村房祥さん。小中高とサッカーに明け暮れ、はこだて未来大学を第1期生として卒業した彼は、そのまま市内の病院に就職。ところが、わずか9ヶ月で病院を退職し、観光業の勉強をするためオーストラリアへと旅立ちました。最初は1年間のつもりで行ったオーストラリアも、仕事を始め、家族を持ち、家まで購入して、気がつけば10年という長期間に。しかし、2年ほど前に帰国し、このインタビューが行われた前日までは函館蔦屋書店に勤めていたといいます。仕事や家を手放してまで、彼はなぜ函館に帰ってきたのか。日本での子育てや、蔦屋書店を辞めた理由などと併せて、お話を伺いました。

 
取材・文章:阿部 光平、撮影:馬場 雄介、イラスト:阿部 麻美 公開日:2015年10月16日

 
 

 
 
 
 
 

サッカー漬けの青春時代と、忘れられない最後の高体連
 

━━続いては、オーストラリアでの生活について聞きたいところなんですけど、話が複雑になりそうなので、生まれたところから順に伺うことにします(笑)。最初に、幼少期の暮らしについて教えて下さい。
木村:生まれたのは五稜郭病院だったかな。たぶん(笑)。で、銭亀に住んでました。父の生家というか、祖父の家が銭亀だったんで。
 
━━幼稚園のこととかは覚えてますか?
木村:家のすぐ近くにあった古川保育園というところに行ってましたね。古川保育所って名前だったかな? たぶん、今はないかな。あの辺は子どもが少ないんで。
 
━━当時は、同級生とかも多かった感じですか?
木村:いや、その頃から少なかったですよ。俺が行ってた東小学校で2クラスくらいだったかなぁ。
 
━━そうなんですね。当時、何か学校で流行ってたことや、個人的にハマっていたことなんかはあります?
木村:個人的にはサッカーですね。兄貴の影響もあって、小3の時に始めてからは、ずっとサッカーばっかりやってました。中学校でもサッカーしかやってなかったですねぇ。
 
━━銭亀中のサッカー部って、かなり強かったですよね?
木村:そうですね。俺らの世代では行けなかったけど、2個上、1個上は函館で優勝して、全道大会にも出てましたね。
 
━━決して大きくない学校なのにサッカーが強かったということは、監督がよかったんですか?
木村:そうでもないんじゃないですかね(笑)。みんな浜で育ってるから、運動神経が良かったんだと思います。それしかすることなかったし。頭悪くて、ガラ悪くて、スポーツできて、人少ないみたいな学校でしたね(笑)。
今は1つの学校でサッカー部が成立しないから、旭岡とか戸井の中学校と合同チームらしいんですけど、それでも何かの大会で優勝してましたね。
 
━━いまだに強いんですね! 浜っ子おそるべし(笑)。小中時代、他に夢中になっていたこととかありました?
木村:ないです(笑)。本当にないですね。ゲームやらないし、テレビも見ないし、サッカーばっかり。
 
 

 
 
━━では、進路もサッカーを基準に?
そうですね。有斗か東に行こうと思ってましたね。小中と函館選抜で一緒だったメンバーのほとんどが有斗に行くって話をしてたから、俺も有斗行こうと思ってたんですけど、東に合格したので、そっちに行きました。ギリッギリの追加合格でしたけど(笑)。
 
━━有斗に比べ東高にはサッカーの強豪というイメージがなかったかと思いますが?
木村:ある程度、強かったですよ。それに、選抜で一緒だった1個上の先輩が東に行っているのを知ってたので、一緒にサッカーできるのも楽しみだなと思って。
 
━━では、高校時代もサッカー一色ですか? サッカーが上手くて、選抜となると、女の子にもモテたんじゃないですか?
木村:いやいや、そんなことないですよ(笑)。一生懸命サッカーしてました。
 
━━失礼しました(笑)。気を取り直して、高校のサッカー部で特に印象に残っている出来事などはあります?
木村:最後の高体連ですね。準決勝までいって、あと1回勝てば全道大会ってとこだったんですよ。相手は強豪だった稜北で、試合は1-0でリードされてたんですけど、もし負けたとしても次の3位決定戦で勝てば全道に行けるという状態だったんですよね。
一応、キャプテンだった自分としては、後半も終わりかけていて、しかも負けている状態だったので、稜北相手に無理して力尽きるくらいなら、次に焦点を合わせようという考えに切り替わっていたんですよ。この試合は捨てて、次に集中すれば、絶対に勝てる相手だと思っていたので。そしたら、終了直前に追い付いちゃって(笑)。喜びよりも「入れちゃった 」って思いましたね、正直(笑)。
その結果、延長に突入して、稜北に敗戦。その数時間後に行われた3位決定戦もバテバテでラ・サールに負けるという 。あの右45度から放たれた稜北戦の同点ゴールは、軌道まではっきり焼きついていて、良くも悪くも絶対に忘れられない思い出ですね(笑)。
 
 
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