仕事と生活の中で気づかされた
〝雑誌のための料理〟と〝人のための料理〟の違い

近藤緑さん(37)
 職業:フードスタイリスト
出身地:乙部町
現住所:函館市・乙部町
 乙部→函館→東京→函館・乙部

 
 
函館市内にアトリエを構え、フードスタイリストとして料理教室やイベント出店を手がける近藤緑さん。中部高校から武蔵野美術大学に進学し、カフェと雑誌編集部でのアルバイトを経て、24歳の若さでフードスタイリストとしてデビューを果たしました。東京の第一線で活躍し、「本当は帰ってくるつもりはなくて、一生東京で暮らしていくと思ってたんです」と語る近藤さんが地元に戻ってきた経緯や、一度離れたからこそ気づいた函館のローカルな魅力、〝雑誌のための料理〟と〝目の前の人のための料理〟の違いなどを語っていただきました。

 
取材・文章:阿部 光平、撮影:妹尾 佳、イラスト:阿部 麻美 公開日:2015年12月11日

 
 

 
 
 
 
 
 

夢を叶えるための〝掛け持ちバイト〟

 
 
━━親にも納得してもらって、晴れて東京での大学生活が始まったわけですが、まず学校としてどうでしたか? 美術大学というのは。
近藤:最初、デッサンとかの技術がない状態で入学したので、本当に大丈夫なのかっていう不安はあったんですけど、同じく数学で入ってきた人もいたし、結構みんな自由で、技術的に上手い下手っていうより、良いなって思ったことを認め合える人達が集まってたので安心しました。
 
━━武蔵美って、けっこう都心から離れてますよね? 憧れていた都会での生活とのギャップを感じることはなかったですか?
近藤:渋谷とか原宿まで出るのに1時間近くかかる環境でしたけど、週末ごとに都心へ出かけてましたね。東京に出るっていうのが小さい頃からの目標だったので、それなりに楽しくは暮らしてました。
 
━━一人暮らしの生活は充実していましたか?
近藤:一人暮らしを始めて、自炊の楽しさに目覚めたんですよ。作ったお菓子を食べてもらったりとか、友達が家に来た時にご飯作ったりするのがすごく楽しいなーってことに気がついて。
それで、いろいろな料理の本を買うようになったんです。最初は作ってみたい料理がたくさん載ってる本にしようと思って、栗原はるみさんの本とかを買ってたんですけど、そのうち本の装丁が綺麗なものに目がいくようになって、長尾智子さんや高山なおみさんの本を買うようになりました。それから、とにかくいろいろな料理を作るようになったんです。
 
━━そこで料理に目覚めていったわけですね。
近藤:そうですね。だけど、その時は料理ソノモノというよりも、料理の本を作る世界に憧れるようになったんですよ。もちろん料理は好きだったんですけど、自分が勉強してるのはデザインだから、アプローチとしては、本のデザイナーになるっていうのが正当な道筋かなぁという思いがあって。
それで、本のデザインをする会社に就職しようと思ったんですけど、デザイン事務所の社長さんとかと話している時に「君はデザイナーになりたいわけじゃないよね?」と指摘されたりして。
 
━━本ではなく、本当は料理を作りたいんじゃないかと?
近藤:そうです。そういうわけで就職活動もまったくうまくいかず、だけど本を作る仕事は諦めきれないまま卒業を迎えました。結局、フリーターになったんですけど、ただバイトをしてても仕方ないので、料理の本を作るという目的に近づけるような仕事を探しました。
まずひとつは料理の技術を学べるところと思ってカフェのバイトを、もうひとつは大学の同級生がアルバイトをしていた主婦雑誌の編集部でアシスタントのバイトを始めたんです。
 
 

 
 
 
 

━━そこで働きながら、いずれは料理の本を作りたいなっていう想いで、技術を学んでいたと?
近藤:はい。カフェのバイトは、料理を作る下準備として野菜を切って揃えたりとか、そういうところから始まるんですけど、けっこう体育会系で。「いらっしゃいませ!」ってみんなで言わなきゃいけないとか、そういうところにはなかなか馴染めませんでした。大きい声を出せる同期とかはどんどん出世して、仕事を教えてもらってるんですけど、私はそれがなかなかできなくて、ずーっと下働きをやらされてましたね。
だけど、私のそういうキャラクターをみんなにわかってもらえるようなっていくにつれて、「お前はお前でいいよ」っていう感じで色々教えてもらえるようになりました。
 
━━料理のテクニックはそこで学んだって感じですか?
近藤:そうですね。基礎的なものは、そこで教えてもらいました。
 
━━雑誌編集部のアルバイトの方はいかがでしたか?
近藤:雑誌の編集部の仕事は週に1~2回行ってて、最初は資料を整理したりとか、デザイン事務所からあがってきた原稿を引き取りにいったりとか、おつかい的なことをしてたんですけど、そこの編集長が面倒見のいい方で、バイトの子に対して「あなたは将来的に何をやりたいの?」ってよく聞いてくれる人だったんですよ。「私は料理に興味があって、そういう現場を見れたらなと思って、バイトを始めました」って話したら、「じゃあ今度料理の撮影に連れてってもらいなさい」って言ってくれて。
それで、撮影の現場に連れてってもらったら、けっこう手伝いができたんですよ! カフェのバイトで下準備だけは徹底的にやらされてたんで(笑)。
そこで、料理の先生に良かったら個人的にアシスタントを頼めないかっていう話をいただいたりしたんです。料理上手な編集バイトさんがいなかったので、「近藤さんを料理の現場に連れて行ったら料理の先生に喜ばれる」って話になって、編集さんからも料理の撮影があると声をかけてもらえるようになったんですよね。
 
━━結果的に、カフェと雑誌編集部のバイトを掛け持っていたのが功を奏したんですね。
近藤:そうなんですよね。だけど、編集部の方からけっこう声をかけてもらえるようになってきたので、カフェのバイトを半年くらいでやめることになりました。
その後は編集部のアシスタントをメインに、料理の先生から個人的にアシスタントの依頼を受けて行かせてもらうという働き方をしていました。そうしているうちに編集部から、わざわざ先生に頼むまでないような簡単な撮影とかを「近藤さん、やってみない?」って声をかけていただけるようになって。
 
━━実際に料理を作ってみないっていうことですか?
近藤:はい。スタイリングとかも含めてやってみなよって。そういうのを積み重ねていくうちに、自分の仕事をいただけるようになってきたんですよね。
 
━━アシスタントからプレイヤーになっていったと。
近藤:そうですね。編集部のバイトに入れる日も少なくなってきたので、このまま席を置いてるのも迷惑かけるなと思って、ゆるーく独立を決意したんです。
 
━━それってバイト始めてから何年後くらいの話ですか?
近藤:4年後くらいですね。ありがたいことに、独立後も編集部から仕事を振ってもらってました。
最初は撮影に時間がかかったりして、毎日終わるたび反省だったんですけど、編集部の方に「スミマセン!」って言うと、「それはあなたが責任感じることじゃなくって、頼んだ私達が考えることだから。やりたいことを思いっきりやってくれることがあなたの仕事なんだから」って言ってくれて。次もまた仕事をもらえたりすると、もう嬉しくて嬉しくて。そういう中で、なんとかお世話になった人たちに恩返ししていこうという気持ちで仕事をしてました。
 
━━その時はフリーランスとして仕事をしてたわけですよね。仕事の波はありませんでしたか?
近藤:不安定でしたね。ただ、その頃に、また編集部経由でカフェの管理業務とやってみないかというお話をいただいて。タレントのちはるさんが経営していた『CHUM APARTMENT』というカフェなんですけど、移転で規模が大きくなるのに伴って、裏方的なことをしている人を探しているというお話で。「私の仕事の合間でやるのでもよければ、是非やってみたい!」って言ったんですよ。
そしたら早速話をしようとなって、その夜くらいに編集長とちはるさんと三人で面接的に呑みに連れてってもらったんです。実際には、お酒を呑んで、仕事とはあまり関係のない話をするだけみたいな会だったんですけど、私がお酒好きだっていうのもあったのか、気に入っていただけて「どうなるかわかんないけど、やってみよう!」って話になったんですよ。
 
━━ということは、フリーフードスタイリストとして働きつつ、そっちのお店の手伝いもしてたんですか?
近藤:そうです。実際にはお店の方がかなり忙しくて。結局、面白かったのでほぼ毎日お店に行ってるという状態でした。いろんな面白い人が夜な夜な集まっていたので、すごく楽しくて、どっぷりお店にはまっちゃってましたね。
 
━━なるほど。では当時はフリーフードスタイリストの仕事よりも、お店の方が比重が大きかったっていう感じなんでしょうか?
近藤:そうですね、お店に入ってからも、依頼されたお仕事はやってたんですけど、それ以外の時間はほぼお店にいるという状態でした。27歳くらいの時ですね。
 
━━そのお店を辞めることになった理由は何だったのでしょうか?
近藤:ちはるさんって直感で突き進むタイプの人で、それは私にはないところだったので、すごく尊敬していたんです。毎日怒られながら仕事をしてたんですけど、学ぶことも多くて。集まる人達もすごく面白い方々ばっかりだったんですけど、ある時「私が本当にやりたいことって何?」って思って。一旦考え直した時に、ちゃんと独り立ちしなきゃいけないって思ったんですよね。
 
━━そこからはフードスタイリストとして一本で頑張ろうと決意をしたと。
近藤:そうですね。がむしゃらに仕事をしました。
 

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